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    ローマ人への手紙1章15節~18節

福音を恥とは思いません。
ローマ人への手紙1章15節~18節

恥

1:15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
1:18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。

ローマ人への手紙 1章15節~18節

すでにクリスチャンなのになぜ福音を伝えたい?

読み流してしまいそうだけど、「ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を~」という言い方、気になった人はいますか?

ここでの福音は、「イエス様が自分の罪のために十字架にかかり、死に、よみがえった」ということを信じるだけで、だれでも天国にいけるという救いのこと。

ならば、すでにイエス様を信じたのであれば、救いは必要ないのに、なぜまた福音?

と、疑問が出てもおかしくない。

それは、「その義は、信仰に始まり信仰に進ませるから」なんだ。

私たちは、「信じたらもう福音なんてどうでもいい」とか「信じた後は行いだ」とかではなく、
信じた後も、イエス様が私たち一人ひとりのためにいのちを捨てられた事を思い起こし、
神様によって義とみなされている事を覚える事が、喜びをもって歩むクリスチャンの秘訣なんだ。

「信じた後も信仰によって歩む」という事なんだ。

ローマ人への手紙 6章11節で、「このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」とあるのも、「思いなさい」は「数えなさい」と同じ意味であり、信じた後も、イエス様によって罪ゆるされている事を覚える事は、私たちにとっての喜びなんだ。

パウロはなぜ『恥』とは思わない?!

それは、すべての人が救われるすばらしい知らせだから。

今から2000年前のローマ帝国は、文明も発達しており、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど、歴史上有名で、世界に影響を与えた人物がもうすでにいた。また、ギリシャ神話などの宗教も広まって様々な神や人の考えの影響を、多くの人が受けていた。

それに比べ、キリスト信仰というのは実に単純。「イエス様を信じれば天国にいけます」。

ローマのクリスチャンの中には、福音を信じる事が”恥ずかしい”、”バカにされる”という気持ちがあった。だからこそ、パウロはあえて”恥じゃない!”と言っているんだ。

ここで、たとえ話を一つ。

だれか、友達でも家族でもいいので、一人思い浮かべてみて。

…その人が、絶対に治らない病気にかかっていて。

…あなたがたった一つその病気を治す方法を知っているとして。

恥ずかしいから、人から変な目で見られるから、教えないでおこう、もっと後にしよう、と思うかな。

どんな方法でも、その人の病気が治るなら、教えようとするはずだ。

病気の問題は生きている間だけだけど、死後の問題は永遠なのだ。

もし、恥ずかしく思うなら、神様にあって自信を持ってほしい。

どんな人でも救われることのできる、奇跡を起こすことができる神様の力なのだから。

イエスさまを伝えようと思うと、人から「何か変な目で見られないか…」、「恥ずかしいしな…」と、色々気にしてしまうもの。
神さまは正しい義なる方で、すべての人は裁かれるということ。
だから、すべての人はイエスさまによる救いを信じる必要がある。
人に目を向けると揺らぐ事も、神様に目を向けて、その人の人生を左右する大事なものであることを覚えたい。

真理をはばんでいる人には神の怒りが示されている?

神様が怒っている事は、人の心の奥ではわかっている。

世の中には、たくさんの宗教や占いがある。
じゃあ、なぜ宗教や占いがあるのかというと、何か頼れるものがほしいから。

…本当の神さま以外で。

それらは全部、人の自分中心な思いで出来ている。
『○○をすれば健康になれる』、
『○○だったら幸せになれる』、
『○○すれば極楽浄土』、『あーすれば』、『こーすれば』。

本当に神様はいないと思っていれば、占いも信じないし、宗教もないし、幽霊を怖がったりもしない。

『死』も恐れる必要はない。

宗教だけじゃなく、進化論のように、科学的な説明を利用して神様を信じさせないようにする事もある。

人は、実は神さまを『信じない』のではなく、『信じたくない』んだと思うな。