手紙のあいさつ。
ローマ人への手紙1章1節~7節
1:1 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
1:2 ――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
1:3 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
1:4 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
1:5 このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです。
1:6 あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です、――このパウロから、
1:7 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。ローマ人への手紙 1章1節~7節
そもそもパウロってどんな人?
時代は今から約2000年前。イエス様がよみがえって天に帰られた後。
イエス様を救い主と信じていなかったサウロは、イエス様との不思議な出会いを通してクリスチャンとなり、パウロと名乗るようになる。
これは、新約聖書「使徒の働き」に書かれているので、よかったらぜひ読んでね。
パウロは、信じる前には、クリスチャンの人たちを捕まえたり、危害を加える事に熱心に加担していたんだ。
だから、信じた後には、「今まで何てことをしていたんだろう!」という事が、ずっと頭にあったんだ。
「自分は、たくさんのクリスチャンの伝道を妨げてしまった。」
そのような苦い思いが、ずっとパウロの頭の中にあった。
だから、たくさんのクリスチャンの犠牲の上に救われたパウロは、その人たちの分もイエス様を伝えたい気持ちが強かったはず。
新約聖書のおよそ半分はパウロによって書かれるのは、神様がパウロをいかに用いられたかがわかるよね。
パウロによって書かれた聖書
- ローマ人への手紙
- コリント人への手紙
- ガラテヤ人への手紙
- エペソ人への手紙
- ピリピ人への手紙
- コロサイ人への手紙
- テサロニケ人への手紙
- テモテへの手紙
- テトスへの手紙
- ピレモンへの手紙
パウロによって書かかれたとも思われる聖書
- へブル人への手紙
その中で、パウロがローマ人への手紙のはじめに伝えているのが、次の事なんだ。
最初にパウロは自分のことを、3つのことに分けていっている!
パウロは、自分について3つの事を言っている。
- 『神の福音のために召された』
- 『使徒として召された』
- 『キリスト・イエスのしもべ』
神の福音のために召された
パウロは元々クリスチャンじゃない…どころか、捕まえたり、攻撃したりと、迫害していた人なので、「なんであんな人が神様の話してんの?」って思う人がいたかもしれないよね。
パウロは、クリスチャンを迫害していた罪人だと実感していたんだ。
だから、パウロは神様のお使いとして、「罪びとが救われる」というイエス様の救いを伝えるためなんだって言っているんだね。
使徒として召された
パウロは、この手紙の中で、自分が勝手に神様のことを伝えているんじゃなくて、神さまがパウロに命じられて語っているんだって言っている。
キリスト・イエスのしもべ
パウロは、自分の事をイエス様の「しもべ」だと名乗った。
ローマには、イエス様をバカにする人も多くいた。
だからローマに住むクリスチャンが、自分はイエス様を救い主と信じてるっていうのを恥ずかしがったり、クリスチャンである事を言わなかったりしたみたいなんだ。
だから、パウロは、自分がイエス様のしもべである事を誇りとしている事を伝えたんだね。
しもべとは…どれいのこと。でも、アメリカの黒人奴隷のようなイメージとはちょっと違う。
このどれいは『どれいの子として生まれ、そのまま死ぬまでどれい』っていう意味なんだけど、
ローマの国の兵隊は、皇帝(王さまのようなもの)のどれいになることを誇りとしていた。
パウロは、イエスさまのどれいであることを誇りと思っているので、こう言っているんだ。
あなたも例外ではない
ところで、ここまでは、パウロ自身の事について書かれていて、「あ~パウロさんはそうなんだ~」と思うかもしれないけど、ここで急に「あなたも召された人なんですよ」っと付け加えている。
クリスチャンであっても、思わず自分の事と考えずにいてしまう事もある。
だけど、パウロはそこの点を逃さず、
『いやいや、あなたもこのパウロと同じように、神様から召されているんですよ!』
と投げかけているかのようだね。
「確かにイエス様を信じたけど、自分は別に特別な人じゃない。隅っこの方にいてる、居てなくても気づかないような人だ。」なんて言おうものなら、ぜひこの御言葉を。
『あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です』
パウロによる福音の解説、の解説
さて、ローマ人への手紙1章の2節から6節までの間、
「――この福音は、」で始まって、「召された人々です、――」までの間、そもそも福音って何だろうか、とパウロが解説しているんだ。だから今からいう事は、解説の解説になっちゃうね。
福音とか、イエス様って聞くと、イエス様が生まれてから書かれた新約聖書を思い浮かぶかもしれない。
でも、とても大切な事実として、イエス様がこの地上に来る数百年以上前から、旧約聖書に預言者たちを通して「将来に救い主が来るよ!」と約束していたんだ。だから、イエス様の救いは、その約束通りに生まれた。だから、イエス様はただ人ではなく、本当の神の御子であるという事を念押ししているんだ。
つまり、パウロは、この手紙のはじめの部分で、
- 自分が勝手に神さまのことを伝えているんじゃなくて、神さまがパウロを通して語っている
- それは、十字架にかかって死んだ後、よみがえったイエスさまのことで、生まれる前から約束されていた本当の救い主
だって伝えているんだね。
パウロのあいさつ
7節には「ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。」とあるけど、ローマには様々な地域や国の人が行き交っていたので、その人たちも含めてすべてのクリスチャンに宛てられている。
だから、「日本にいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。」
なんて気持ちで読んでみると、もっと身近に感じるんじゃないでしょうか。