2000年前のローマ帝国
2000年前の日本の年表
イエス様がこの世にいた時代、日本列島の歴史ではまだ「日本」という名称はなった。
- 57年に奴(日本列島にある100程度の国の一つ)の国王が、後漢(中国の王朝)の光武帝(AD25年~57年在位)にみつぎ物を差し出して、印綬を授かった
- 「魏志倭人伝」によると、日本の中心には「卑弥呼」という女王がおり、国の名前は「邪馬台国」、239年に卑弥呼が魏に遣いを送り朝献したとに記されている。
日本の年表では、この時代の記録がほとんど残っていない。なぜかというと、そもそも記録する紙そのものがまだ発明されていない時代だったからなんだ。紙を作る技術が日本列島に入ってきたのはAD610年頃。
2000年前のメディア
今の時代、情報を知りたいと思うと、さまざまなメディアを通して知る事ができる。
テレビやラジオ、新聞だけでなく、インターネットを使ってウエブサイト検索、フェイスブック、LINE等のSNS等いろいろな方法がある。
ところが、2000年前にそんなものは想像もつかないよね。
じゃあ2000年前ってどんな社会か、っていうと、口で伝える口伝、たき火の煙を使ったのろし、ドラなどを使って伝えていたんだ。特に重要なのが紙。
エジプトではBC20世紀頃(今から約4000年前頃)にはすでに植物を加工して紙を製造していた。
その植物の名前をパピルスっていうんだけど、パピルス(PAPYRUS)は紙(PAPER)の語源にもなり、またパピルスからビブロスという言葉を経て、バイブル(BIBLE、聖書)になったんだよ。
なので、ローマでは、羊の皮をなめした羊皮紙やパピルス紙によって、自分たちの歴史を記録したんだ。
2000年前の地理感覚
ところで、2000年前のローマがどんな社会だったか想像できる?
ローマ帝国は、世界最大の国家。ヨーロッパから地中海沿岸部にかけて(右図の赤いエリア)、かなり広範囲の地域を支配していた。
日本と大きく違うのは、当時の日本列島は100程度の国に分かれていて、統一国家がなかったのに対し、ローマ帝国はたくさんの国をまとめて一つの国を作り上げていた事。
軍隊も国の大きさも、知識も技術も、世界一だった。物流も盛んだった。
「すべての道はローマに通ずる」っていうことわざがあるけど、まさにその通り。
この時代ですでに、セメントやコンクリートを使った「道路」が作られていて、その標準的な車幅(当時は馬車)や歩道の広さも決められていた。トンネルや、長い橋を作って便利にしたり、距離や場所がわかるように標識、水害の事も考えて高い位置になるようにも工夫されていた。
紀元2世紀には主要道路は86,000km、総延長距離は150,000~290,000kmにもなったそうだよ。
東京~大阪が約600km、札幌から沖縄までが約2,500kmだから、むちゃくちゃ長いってわかるよね。
コンピュータや機械がない時代だけど、それ以外では発達した国家だったんだ。
2000年前の発達した国家、ローマ帝国
帝国があるということは、政治がある。
ローマ帝国はこの時代ですでに選挙があり、今の国会に相当する「元老院」があった。
国会議員もおり、国を守るための軍隊もいた。
役所も、裁判所も、警察もあり、通貨、税金の支払いもあった。
民が楽しむための施設があり、また図書館があった。
学問も思想や宗教も盛んだった。
それほど整った時代に、イエス様が地上の生涯を歩まれ、弟子たちが生きたという事なんだ。
2000年前のローマの文化と思想と宗教と。
ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ヒポクラテスなど、歴史上有名で、世界に影響を与えた人物がたくさんいた。また、ギリシャ神話などの宗教も広まっていたんだ。