目には見えなくても存在はわかる…!
ローマ人への手紙1章19節~25節
1:19 なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。
1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
1:21それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。
1:22 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、
1:23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
1:24 それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。
1:25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。
神さまは目に見えない?!
聖書には、神さまは見えないことをはっきり言っている。
この世の中には、人の手によって目に見える『神』を作ることがよくある。そして、それを拝み、宗教が生まれる。
旧約聖書の時代は、ネブカデネザル王が金の像を造って拝ませたり、金の子牛の像を造って、本当の神さま以外のものを『神さま』とした。
今の時代でも、この世界を造った神さまに目を向けるのではなく、人の手で造った物を拝み、本当の神さまを無視してしまっているのだ。
さて、神さまは目に見えない。
目に見えるものは、いつか滅びる。
滅びることがない、永遠に生きておられる神さまだからこそ、目に見えないのだ。
見たことないのにどうして神さまがいるといえるの?!
この世界の造られた物を見た時に、神さまの存在がわかる。(ローマ1:20)
神さまのことを伝えていると、『神さまがいるなら見せて』といわれたりする。
でも、聖書はその答えとして『被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はない』と言っている。
神さまが造ったこの世界を見たときに、言い訳できないと言っているのだ。例えば、宇宙、地球、生物、人間、細胞、遺伝子、原子etc…誰がどうみても精密にできていることがわかる。
それでも、神さまがこの世界を造られた、というよりも、偶然に勝手にこの世界ができたと、人は信じてしまうのだ。
そして、頼るものを、何もすることができない、いずれは壊れたり、死んでしまったりするようなものにしてしまうのだ。
クリスチャンでない人でも、クリスチャンでも、神さま以外のものを頼りにしてしまう、という弱さがある。私たちには、本当に頼りにできるすごい方がすぐそばにいることをいつも覚えていたいなぁ。
また、イエスさまは、神さまを無視する、神さま以外のものを拝む人をも愛して下さっている。私たちだけではなく、まだイエスさまを信じていない一人ひとりのためにもイエスさまは十字架にかかっていのちを捨てて下さった。
ひとりでも多くの人が、イエスさまのことを信じてくれたらいいなぁ!